災害時の対応について
4)エコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)に関するQ&A
Q1 エコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)とは何ですか?
A1.人間が生きていくためには、酸素を体内に取り入れることが必要です。そのために肺では、吸い込んだ空気の中から酸素を血管内に取り入れ、二酸化炭素を血管内から体外へ出すという、"ガス交換"を行っています。心臓の右心室から肺へ血液を送り出す血管を肺動脈といい、酸素濃度が低い血液が流れています。血液は肺動脈を通って肺へ行き、肺でガス交換を行った後、酸素濃度が高くなった血液は肺静脈を通って左心房へ戻ります。
左心房へ戻った血液は左心室を経由して全身に送られ、各臓器で酸素が使用されます。消費された酸素は二酸化炭素になって血液中に戻るため、全身を回るうちに血液中の酸素濃度は徐々に低下し、二酸化炭素濃度は徐々に上昇していきます。そして、血液は大静脈を経由して右心房へ戻ります。
右心室から血液は肺動脈を通って再び肺に向かい、ガス交換が行われます。人体の中では絶えず血液が流れ、肺では休みなくガス交換が行われています。
この肺動脈に血液の塊(血栓(けっせん))が詰まる病気のことを、"肺血栓塞栓症"と呼びます。飛行機の狭い座席(エコノミークラス)で長時間座っていて、急に立ち上がったときなどに発症することが多いことから、肺血栓塞栓症は"エコノミークラス症候群"とも呼ばれます。災害時の車中泊なども、長時間同じ姿勢でいることを強いられるため、肺血栓塞栓症の発症率が上がることが知られています。食事や水分を十分にとらず車の中や飛行機など狭い環境で長く座った状態で動かないでいると、血液は濃くなって固まりやすくなり、足の静脈の血液がよどんでしまいます。この状態が続くと、脚(主にふくらはぎ)の静脈内に血の塊(血栓)ができてしまいます。これを、深部静脈血栓症と呼びます。下肢に静脈血栓症を発症すると、血栓が生じた側の脚がむくんだり、腫れたり、痛くなることがあります。
静脈内にできた血栓は、しだいに大きくなり、ちぎれてしまいます。それが、血流にのり、肺動脈や肺に流れてしまうことがあります。血液の流れに乗って運ばれてきた異物(血栓)が肺動脈をふさぐことを塞栓(そくせん)といい、この状態を肺血栓塞栓症と呼びます。
小さな血栓が肺動脈につまった場合は、肺へ流れる血流が低下して肺でのガス交換が不十分になるため、息切れ、胸や背中の痛みを自覚することがあります。
さらに、大きな血栓がつまった場合には肺へ流れる血液が著しく低下するため、ガス交換ができなくなるだけでなく、血圧も低下するおそれがあります。肺血栓塞栓症は命に関わることもある、危険な病気です。
災害時には、車の中など脚を十分に伸ばせない狭い生活環境や、寒さ、十分に水分が摂れないなどのリスクが重なることから、肺血栓塞栓症への十分な注意が必要です。
Q2 どのような症状になりますか?
A2.脚のむくみ、腫れ、痛み、特に脚の太さの左右差に気付いたようなときには、深部静脈血栓症の可能性が考えられるので、最寄りの医療スタッフに相談ください。
また、今までに感じたことのないような歩行時や階段での息切れ、胸や背中の痛み、動悸などを自覚するようであれば、肺血栓塞栓症の可能性がありますので、速やかに医療機関を受診してください。
さらに、突然の強い胸痛、背部痛、冷汗、安静時の呼吸困難などの症状を伴うときには、比較的大きな血管に血栓がつまった(肺血栓塞栓症が生じた)可能性がありますので、近くの人に声をかけるとともに、躊躇しないで救急要請をしましょう。
Q3 どのように診断しますか?
A3.現場や避難所では、脚の腫れ、痛み、胸痛、背部痛、息切れなどの症状を聴取します。下肢の腫れ、痛み、皮膚の色の変化、把握痛(握って痛いかどうかを確認する)の有無などに関して診察し、超音波検査の機会があれば、下肢静脈血栓の有無に関しても評価します。下肢静脈血栓症が疑われた場合は、速やかに医療機関へ紹介します。また、胸・背部痛や呼吸困難が強く、パルスオキシメーターで血液中酸素濃度の低下が認められた場合は救急搬送も含めて医療機関への紹介を行います。
医療機関では、胸部エックス線写真、血液検査(特にDダイマー)、心電図、心臓の超音波検査を行い、肺血栓塞栓症が疑われた場合は、緊急CT検査(造影CT)を行うことで診断できます。
<肺血栓塞栓症の胸部造影CTと下肢の造影CT(日本呼吸器学会HPより)>
Q4 治療法はありますか?
A4.治療の主体は、血液をサラサラにする"抗凝固療法"で血栓を溶かすことです。
抗凝固薬としては、我が国ではこれまでヘパリン®点滴と飲み薬のワーファリン®の組み合わせが一般的でした。しかし、2014年に容量調節がし易くなった新しい飲み薬の(直接作用型Xa阻害薬である)リクシアナ®、イグザレルド®、エリキュース®が相次いで使用可能になり、一般的に広く使われるようになりました。これらは重症度によらず、診断され次第になるべく早く開始します。それぞれの薬の使い分けは年齢や合併症によるため、専門医の診断で行います。
抗凝固薬の投与期間は一般的に初期治療期(7日まで)、維持治療期(初期治療後~3ヵ月)、延長治療期(3ヵ月以降)に分けられます。
治療開始後は、血液検査でD-ダイマー値を用いた凝固能(血栓のできやすさの程度)の確認と、造影CTや下肢静脈エコーを組み合わせて定期的に検査をしていきます。個人によって異なりますが、血栓の消失を目標に概ね最低3か月は飲み薬を使った抗凝固治療を続けます。どこまで治療を続けるのかは個人によって異なりますが、災害時は狭い空間での下肢の物理的な圧迫が、血栓ができやすくなる最大の原因となります。治療中も積極的に足を動かす運動を行うなどの再発予防が最も重要になります。
・その他の治療
特に血行動態が不安定な急性肺塞栓症を起こしている場合に、
・血栓溶解療法
・カテーテルを用いた血栓除去術
・外科的血栓摘除術
また、肺動脈塞栓症を予防するために、
・下大静脈フィルター挿入*
なども挙げられますが、これらは全て専門医の判断によって選択されます。
*下大静脈フィルターを使用する場合となるのは、
①出血のリスクが高く、抗凝固薬が使えない場合
②抗凝固薬を使用しても血栓が繰り返し再発した場合
③次に肺塞栓を起こすと命にかかわる場合 (特に右心不全を合併した重症の急性肺血栓塞栓症で、大きな血栓がある場合)
*下腿に限局する静脈血栓の場合には下肢静脈超音波法により経過を観察し、中枢側に伸展した場合にのみ、下大静脈フィルターなどを考慮します。)
Q5 予防法を教えてください。
A5.血の塊(血栓)ができる原因は大きく次の3つに分けられます。
血栓ができる原因(ウィルヒョウの3徴)
具体例:寝たきり、長時間の座位、脱水、妊娠など
具体例:がん、炎症、経口避妊薬、先天的な凝固異常など
具体例:手術、カテーテル留置、喫煙、糖尿病、脂質異常症など
(NPO法人日本血栓症協会HPより)
予防策①下肢の運動
ときどき、軽い体操やストレッチ運動を行うようにしましょう。 かかとの上げ下ろし運動をしたり、脹脛を軽くもむだけでも効果があります。医師から指示がある場合は、弾性ストッキングを着用しましょう。
予防策②水分補給
トイレが心配で飲み物を控える事もあるかもしれません。しかし、水分の補給で血液の巡りが良くなり、血栓のリスクを下げる事が出来ます。1日に500mLペットボトル2本を目安に、できるだけ飲むようにしましょう。
予防策③生活習慣の見直し
コレステロールや血圧、血糖値の管理をすることで血栓症のリスクを下げる事ができます。標準体重を維持する、野菜や食物繊維の摂取を意識しましょう。また、喫煙は血管にも深刻なダメージを与えます。静脈血栓だけでなく心筋梗塞や脳卒中の原因にもなるので、禁煙も非常に重要です。
(厚生労働省HPより)
Q6 避難所での注意点を教えてください。
A6.水分摂取は脱水状態を避け血栓の予防に重要です。避難生活ではトイレの回数を減らすため飲水をがまんしてしまいがちになります。トイレを確保し水分をこまめにとるよう気を付けましょう。飲酒や喫煙は血栓ができやすくなる可能性がありますので控えましょう。
車中泊では長時間足が低い位置で運動が妨げられることで肺塞栓症のリスクが高まります。避難所での生活であっても足を十分に伸ばせない環境では血栓ができやすいと報告されています。足を自由に伸ばせる環境を確保することが大切です。欧米で災害時に普及している段ボールベッドなどの簡易ベッドの導入も望まれます。さらに1日20分を目標に、脚を動かすウォーキング等の運動を意識するようにしましょう。
弾性ストッキングは、車中泊が必要となる方、エコノミークラス症候群や深部静脈血栓症で治療中の方、癌で治療中の方、70歳以上の方はエコノミークラス症候群発症のリスクが高く、着用が勧められます。また、抗凝固薬など定期的に使用している薬剤は継続が必要です。薬を持ち出せなかった場合は医療機関に相談しましょう。
日本循環器学会/日本高血圧学会/日本心臓病学会
2014年版災害時循環器疾患の予防・管理に関するガイドライン
(http://www.j-circ.or.jp/nishinihon2018/JCS2014_shimokawa_d.pdf)